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【要約】あやうく一生懸命生きるところだった|今日から必死に生きないようにしよう

こんにちは moyaiです。

あなたはどうですか?

忙しくて考える暇もなく、誰かが開催した謎のレースを全速力で走っていませんか?

今回は、「頑張らない人生」を実験と称して、一生懸命生きてきたのにも関わらず全く幸せになっていなかった、著者のハ・ワンさんが40歳を目前にして会社を辞めて、自分はこれからどのように生きたいのか、自分をすり減らす毎日からどう抜け出し“自分らしい生き方”を見つるべく、一生懸命に生きない『人生の旅』についてのお話。

韓国で25万部のベストセラーになった、ハ・ワン著『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社)をご紹介します。

毎日、走り続け疲れきったあなたへ。“自分らしい生き方”を見つけるきっかけに

それではいってみましょう。

あと10分我慢して登れば山頂だと言われて
ひぃひぃ登ったのに
10分経っても頂上は現れなかった。
もう少しだよ、本当にここからあと10分だから・・・・・・。
その言葉にダマされながら
40年も山を登り続けてきた。
ここまで登ってきたついでに
もう少し登ってみることもできる。
必死に登り続ければ
何か見えてくるかもしれない。
でも、もう疲れた。
気力も体力も底をついた。

チクショウ、もう限界だ。

著者

著者のハ・ワンさんは、イラストレーター、作家です。1ウォンでも多く稼ぎたいと、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたある日、「こんなに一生懸命生きているのに、自分の人生はなんでこうも冴えないんだ」と、やりきれない気持ちが限界に達し、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。フリーのイラストレーターとなったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。特技は、何かと言い訳をつけて仕事を断ること、貯金の食い潰し、昼ビール堪能など。書籍へのイラスト提供や、自作の絵本も1冊あるが、詳細は公表していない。

あやうく一生懸命生きるところだった(ソフトカバー)

あやうく一生懸命生きるところだった(Kindle版)

本書のポイント

Point1 こうなりたくて、頑張ってきたわけじゃない
Point2 一度くらいは思いのままに

Point3 生きていくって、たいしたことじゃない

Point4 あやうく一生懸命生きるところだった

要約

Point1|こうなりたくて、頑張ってきたわけじゃない

今、僕らには努力より勇気が必要だ。
無謀でもチャレンジする勇気、
時には潔くあきらめる勇気のことだ。

努力は必ず報われるわけじゃない

著者は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の中の一幕におもしろい話があることを紹介してくれる。
太平洋のど真ん中に、遭難した男が浮き輪をつかんで漂流していた。
すると、遠くから同じく浮き輪をつかんだ女が泳ぎながら近づいてきた。
彼らは海に浮かんだまま、並んでビールを飲みながらあれこれおしゃべりする。
夜通し話し続けたのち、女は当てもない島を目指して泳ぎ始め、男はそのままそこでビールを飲み続けた。女は2日と2晩泳ぎ続けてどこかの島にたどりつき、男は二日酔いのまま飛行機に救助される。
この話は、若干モヤっとする方もいるかもしれませんね。著者は、ここで、

「努力したって、必ず報われるわけではない。」

というのです。

確かに、改め考えてみると
「必死に努力したからといって、必ずしも見返りがあるとは限らないし、必死にやらなかったからといって、見返りがないわけでもない。」
ということが大前提なのであり、ただ男も女もどちらも運が良かっただけの話なのだが、多くの場合、努力の末に得た結果と、ラクして同じ結果を得たなんて不当だと思い腑に落ちないのであるといい、その考え方自体が苦悩はじまりだといいます。
この現実を受け入れるだけで少し楽に生きられるのではないでしょうか?

そもそも、やるか気がなくても働ける

この社会はとにかく「やる気」が大好きだと筆者はいます。「やる気=素晴らしい」という考え方が植え付けられていますよね。だが、そもそもやる気がなくたってかまわないだろう。やる気がなくたって十分働ける。ほとんどはお金を稼ぐためにある。労働の対価としてお金を受け取っているのだ。
それなのに、やる気まで要求されるなんて、会社はちょっとほしがりすぎじゃないか。湧き出しもしないやる気をムリに作り出すこと自体がストレスだといいます。

「ないならないなりに、目の前の仕事をこなせばいい。」

ほら、なんだか軽くなりませんか?

「人生マニュアル」を捨てて自分らしく

筆者はいいます。
我々の生きる社会には、“この年齢ならこれくらいは”という「人生マニュアル」が存在するのだと。誰も見たことがないのに誰もが知っているマニュアルであると。
 そして、誰しもがそれに合わせようと努力するのだと、そうじゃないとなにか不安だから。自分だけが取り残されるような気がするから。

え?まだ結婚もしていないの?僕らの年なら結婚して子供のいないと
まだ賃貸暮らし?僕らの年ならこれくらいの坪数のマンションは買っていないと
車もないの?僕らの年なら軽自動車はちょっとアレだから、これくらいのグレードの車には乗っていないとね
会社も辞めたって?フリーランスなんて聞こえはいいけど結局不安定だろ?会社に入れよ。僕らの年なら、これくらの年収は稼いでいないと
保険も入っていない?僕らの年なら医療保険くらい入っていないと・・・・・・
そういう人生マニュアルってどこでもらってくるの?市役所行けばもらえる?

っとこんな具合である。
まぁそれでも、みんなと同じように生きないという選択は、あらゆる面で疲れる。ひょっとして、みんなも疲れるから他人に合わせて生きているのだろうか。筆者自身もいつも他人の視線を気にして生きてきたといい、誰に見せても恥ずかしくない人生を送ろうと努力してきた。たとえ、それがうまくいかなくても。正直、「人生マニュアル」に合わせて生きてみたかったけど、簡単ではなかったと言っている。

でも、本当に恥ずべきは、この年でなにも持ち合わていないことではなく、自分なりのポリシーや方向性を持たずに生きてきたという事実のほうかもしれないといいます。

Point2|一度くらいは思いのままに

今にも電池切れしそうな僕らに必要なのは、
「もっと」じゃなくて「ほどほど」の気持ち。

心配も、ほどほど。
努力も、ほどほど。
後悔だって、ほどほどがちょうどいい。

人間関係の疲れは「ひとりの時間」で癒す。

著者はこんな風にいいます。

そもそも、「ひとりでいたい」なんていう気持ちは、結局誰かとつながっているから生まれるものであって、無人島にひとりでいる人が、ひとりでいたいなんて思わないだろう。
「ひとりの時間を望むのは、それだけ人間関係に疲れている証拠だ。だから、ひとりの時間は必要だ。ひとりの時間は治癒の時間なのだ。」
人間関係で疲れた体と心を休ませてあげる時間。だからひとりで食事したり酒を飲んだり、ひとりでできることを楽しんだらいい。と。

ただし、そうやってひとりの時間を楽しんだ後は、必ず戻らなければならない。疲れてイライラする人たちの群れの中に。その事実だけを忘れなければいいのだといいます。
帰ってくる家がないなら、旅行は旅行にならないだろうか?
本当に独りぼっちなら、さみしさを楽しむことができるだろうか?
ひとりの時間は、帰り道が約束された旅行でもあるのだ。

Point3|生きていくって、たいしたことじゃない

思いっきり夢を見ることが
許される世の中になってほしい。
心からそう思う。

そして何よりも、
特別な夢なんかなくても幸せでいられる
世の中であってほしい。

その「生きづらさ」は、あなたのせいじゃない

なぜこんなことになってしまうのだろうか・・・・・・

「夢みたいなこと言ってないで、勉強しない!」

そう、この世界では、勉強以外はすべて夢みたいなことになる。こんな世の中で、子どもたちが夢を見られるはずがない。
自分の夢を探す機会さえ奪われたまま、勉強にかかりきりになる子どもたち。そして、勉強という一本道だけを提示する大人たち。

私たちは、
こうなりたくて必死に勉強してきたのか?
大人たちが言った「幸せ」とはこういうことだったのか?

なぜ、一つの「正解」に群がるのか?

著者はいいます。
なぜ僕らはいつも、正解がただ一つしかないかのように、そこに群がるのだろうか?

もう少し多様な生き方と仕事ができる世の中になってほしい。
さらには、お金をたくさん稼がなくても幸せに暮らせて、無視されることもなく、惨めでもない世の中、そんな社会を夢見ている。と。

Point4|あやうく一生懸命生きるところだった

夢見た通りにいかなくても、
人生が終わるわけじゃない。
与えられたこの人生を生き続けるだけだ。
結局、今をどう捉えるかの違いだ。

少しぐらい遅れたって気にすんな

著者はいう。案外、目まぐるしく生きている僕らの心の中にも、実は余裕とゆとりが隠れている。
こんな文言の書かれたメニューを置いている飲食店があったらどうだろう。

少し不器用な店主がひとりでやっています。
料理が出るまで、お待たせすると思います。
どうもごめんない。


…うん。全然待てますよね!?笑
待つのが嫌な人は、その文句を目にしたとたんに店を出るだろうが、たいていの人は瞬時に寛大になり、快く待つ方を選ぶ。もともと不器用だと言っているのだから仕方ないじゃないか、と。

思い通りにいかないほうが正常だ

こんなことを思うことはないだろうか。と著者は問いかける。

「ああ、何ひとつ思った通りにいかない……」
そうだ、僕らはいつも思い通りにいかずに苦しむ。
努力しなかったならともかく、それなりに精一杯やったのにうまくいかない場合は思いっきり落ち込み、後悔する。

しかし、よく考えてほしい。思い通りにいかないほうが正常だということを。

バカ言ってんじゃないって?
じゃあ、ある人が思い描いた通りにすべて願いが叶ったとしよう。お金がたくさんほしいと願えばお金持ちになり、あの人に好きになってほしいと願えばその通りになり、あの人が死ねばいいのにと願えば……そんな能力を、僕らが正常だなんて思わない。それこそ超能力だ。
僕らは超能力ではない。何事も思い通りにならないのが正常で、自然なことである。だけどその事実をすっかり忘れ、思い通りにいかないと思い悩んでしまう。

“いいね!”のためにいきると疲れる

皆さんはどうだろうか?”いいね!”ばかりを欲して生きていないだろうか?

誰かに合わせようとすると、だんだん疲れてくる。
他人の心はわかりもしないし、移り気も激しく振り回されるだけだと言います。

実際、自分の好みを万人が認めるわけがないのだ。

まわりからの“いいね!”にすがりつくことなく、自分の世界に集中して高めていけば、いつか誰かに認められるのではないか。たとえ認められなくても、少なくともやりたいことは思いっきりやったんだからそれで爽快だろうと言います。現実は置いておいて・・・・・・

てっとり早く自分を不幸にする方法

著者は、もっとも簡単に、早く、自分を不幸にする方法は、「他人と比較」することだといいます。これはかなりの確率で不幸になれる方法であるとまでいいます。

信じられないなら、今すぐ自分より稼ぎの言い誰かや、イケメン、芸能人などを思い浮かべてみよう。そして自分の人生をそっと横に並べて見てください。

・・・・・・ああ、不幸だ、なんて自分は不幸なんだ。
そんな風に思うだろう。だから筆者は、誰かと自分を比べないように気を付けているといいます。自分の人生が他人と違うことを不安に思うのではなく、プライドを持とうと。こんなユニークな人生、誰も生きられないぞ、と。

あやうく一生懸命生きるところだった(ソフトカバー)

あやうく一生懸命生きるところだった(Kindle版)

まとめ

同じ人生なら「一生懸命」生きるより、「楽しく」生きよう。
結局のところ、

「天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない」

・・・・・・その通りである。
この名言に対して著者は、良いものだが。一つ問題があるといいます。
それは、「必ずしも、人に勝とうとして楽しむのではない」ということだ。ただ、楽しくやりたいだけ。誰かに勝つことが目的になった瞬間に、楽しめなくなると思うからだ、と。

努力しても必ずしも報われるわけではない。だから思いのままに楽しく生きるべきなのだ、ムダだってかまわない、お金だって必ずしもたくさんあることが幸せか。人生たいしたことないと高をくくり考えすぎず、楽しい時間を過ごそう。そんな本でした。今回紹介できていないさまざまな”自分らしい生き方”が紹介されています。ぜひ手に取って読んでみて頂ければと思います。

ふぅ、あやうく一生懸命いきるところだった。

それでは、皆さまが豊かになりますように願っております。

また次回の記事でお会いしましょう。moyaiでした。

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